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事実=実際の出来事とそれを見た人、聞いた人がもつ感情=意見とは全く関連性がないというおはなしです。
ご飯を作らされていて、こき使われている?
その昔、税務署時代の先輩に、私が家族のご飯を毎晩作っているというお話をしたところ、
「そんなん、お前が嫁さんにこき使われているだけじゃないか。」
と言われたことがありました。
その後の会話は覚えていませんが、
「いやいや、先輩わたしは好きでやっているんですよ。お料理をつくるのが楽しいんです。」
とは言わなかったような気がします。
ここでの”事実”は
「私が毎晩、家族のご飯をつくっていること。」ですよね。
そして、先輩はそんな私のことを
「嫁にこき使われて、晩飯を作らされている情けない夫」という”意見”を持ったということです。
私の感情、意見としては、
「毎晩ご飯が作れる♪なんて幸せ者なんだろうこの私♪」なんですね。
事実と意見は関係がない
このことから分かるのは、まったく同じ事実に関して人が抱く意見・感情は異なるということですね。
色んな意見があると思って生きていた方が面白いですよね。
たとえば、お仕事でお客様に何かの提案をしたら、それは違うと断られたとします。
ここで、「ああこの提案はダメなんだ、世界中の誰にも受入れてもらえないんだ。」
と諦めてしまって、2度と使わないのはもったいない。
それは違うと言ったのは、そのお客様ひとりの意見であって、他のお客様には絶賛されるかもしれない。
意見に絶対はない、絶対的にその提案が零点という判定はない訳ですよね。
なので、事実は事実としてきちんと認識して、それに対する他人様の感情・意見はあまり真に受けずに
「へえ、この人はこう感じているんだなあ・・・」
ぐらいの感覚で受け止めて、あまり深刻にならない方がいいのかなと思います。
逆に、自分が何とも思ってもいない、普通だと思っていることを褒められることってたまにありますよね。
そういう時は、「いえいえ私なんて、そんな大したもんじゃありません。」
と謙遜せずに、「ああこの人はこう感じてくれているんだなあ。」
と素直に受け止めた方が自分の感情が良くなると思います。
「ありがとうございます。素直にうれしいです♪」
【きょうの料理日記】