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当ブログをご覧いただきありがとうございます。相続専門の税理士の岡田隆行です。
税務署OBの先輩税理士の方とお話ししていると、公的年金を「もらえる」額についてのお話しになることがあります。

年金の額は変わらない
「(少し年長の)あの人は○○円もろうとる。」とか、「あの人は親分(税務署長の意味)で辞めたけん退職金が△△円あった。」とかいう類のお話しです。仰りたいことを総括すれば、「他人がたくさんもらっていてうらやましい。」ということです。
ですが、今ここでいくら妬んだところで、自分の年金が増えることは絶対にありません。
それに、自分より若い年代(わたしも含め)の年金額を想像してみれば、当然先輩の方が割合としては「ようけもらえる」でしょう。そもそももっと上の年代になれば、年金制度自体がなかったことを考えると、すべてお国まかせの制度上のことであり、自分でコントロールはできない。考えても仕様のないことなのです。
プラスならそれでいい
そういった年金のお話しを聞くと、私がいつも考えるのは、人生の最後を迎える時に財産がプラスであればそれでいいんじゃないかということです。
相続税のお仕事をしていると、多額の金融資産を遺している案件に遭遇します。そうかと思えば、生前の収入は相当な額だったのにもかかわらず、ほんのわずかのお金しか遺していない案件もあります。(わたしが隠れた財産の存在に気がつかないだけなのかもしれませんが・・)
確かに、高齢になってから困窮してしまうのはつらいものがあります。
また、残される家族の事情で、どうしてもお金が必要な方もいらっしゃるでしょう。でも、それを除けば、百万円残すのと、千万円残すのと、1億円残すのと何が違うというのでしょう。葬式代くらい残して、遺族に迷惑がかからないのであれば、それでいいのではないかと私はいつも思います。
そう考えてみれば、年金を少々多めに受け取っている年配者を、指をくわえて妬んでいる必要なんてありません。
他人の収入から「思い」を外す
それに、他人の収入に一喜一憂していたら、自分が世界一の資産家にならない限り、死ぬまでずっとそれを続けなければなりません。どうしても比較してしまう気持ちは誰しもありますが、それに囚われてしまうと、自分の大事な時間を浪費してしまいます。
自分ではどうしようもない年金のことを考える暇があるのなら、人が笑顔になるようなダジャレのひとつでも考えていた方が、他人のためにもなり、自分もよほど幸せな気分でいられると思うのですが。
【きょうの料理】
豚茄子です。カナダ産の豚こま肉ですが、国産肉よりも安価で味もにたようなものです。私の味覚の問題なのかも知れませんが。きょうもおいしくいただけました。ありがとうございます。ごちそうさまでした。
