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当ブログをご覧いただきありがとうございます。相続税専門の税理士の岡田隆行(okatakatax.com)です。
今日視聴した心理カウンセラーラッキーさんのYouTube動画では、ローマ時代の哲学者エピクテトスの教えが三つ紹介されていました。その中でとても気になったのは、人生で出会うものはすべて借り物だと考えるという思考法です。
すべてはレンタル
当たり前のことでよく言われていることですが、人間は何も持たずに裸で生まれてきます。そして死ぬ時にも何にも持って行くことはできません。生まれてくるのも手ぶら、死ぬ時も手ぶらです。
人間は生きている間に、短期的一次的には色々なものを「手に入れ」ますが、長い目で見るとそれらはすべて「手に入れた」と思っているだけで、通り過ぎて行くだけのものです。
手に入れたと思うものは、家とかクルマとか、身の回りのモノとか、家族とか、友人とか、ペットとか、もっと広く捉えると、自分の健康とか命または時間とかも自分が生きている間だけの借り物で、自分の所に来たかと思ったら、去ってゆくものです。
エピクテトスはあらゆるものは借り物なんだと考えていたそうです。
それは、自分の身の回りにあるあらゆるものを、自分の所有物だと考えるところから人間の悩みが生じているから出てきた思考なのではないかと思われます。
「所有する」土地の境界線について争いが起こるというのは、個人間でも国家間でもよくあることです。事情は様々あるのでしょうけども、これは自分のものだという思考がある限りそういった争いはなくならないのです。
あらゆるものは借り物だと考えると、今自分のまわりにいてくれる人や、モノ、時間、身体、命は限定的なものなのだということが実感できます。限定的だからできる限りやさしく、ていねいに扱おうという気持ちになってきます。なぜなら、それらはいつかは返さなければならないもので、それは明日かも知れないからです。返した後になって、あの時もっとやさしくしておけば良かったと悔んでも後の祭りなのですね。
所有するとはどういうことか
相続税は被相続人が所有していた金銭に換算できるあらゆるものが、被相続人の死亡により相続人へ移転する機会をとらえて課税しますという税目です。
相続財産の多くの部分を土地が占める場合がよくありますが、あらゆるものが借り物だという考え方からすれば、土地を所有するということ自体に違和感を覚えます。
持ち家か賃貸どちらがよいかという議論をよく耳にしますが、長い目(ロングショット)で見ればたとえ持ち家だとしても、いずれはお返ししなければならない時がきますから、借りているか持っているかは単にどう呼ぶかくらいの違いなのではないでしょうか。
土地というのは母なる地球の一部分です。
地球があるから自分が存在しているのに、その母体をを分有するというのはどういう料簡なのでしょうか。象に寄生している寄生虫が「この象は俺のモノだ!」と寄生虫どうしで奪い合っているようなもので、そう考えてみると滑稽でしかありません。
せっかくいただいたこの借り物の時間ですから、できる限り気分よく過ごせるようにしたいものです。
相続争いというのは、借り物である財産を、借り物である時間を費やして奪い合っているという点において、二重に損をしていると考えることができます。たとえ争いに勝ったとしても、やがては手放さなければならないものです。
何かに執着することこそが苦しみの根源なのであれば、すべては借り物だと思考することによってその根源から解放されるのではないでしょうか。
【きょうの良事】
きょうは1円もお金を使わずに過ごしました。
【きょうの料理】
鶏と白菜のクックドゥ白菜のクリーム煮です。鶏と白菜を200ミリリットルの湯で煮て、クックドゥ白菜のクリーム煮の素を加えてちょっと煮込めば出来上がり。