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ひとの記憶が曖昧なことについて

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ひとの記憶が曖昧なことについて

当ブログをご覧いただきありがとうございます。相続専門の税理士の岡田隆行です。

私は今年で55歳になります。30代、40代の頃と比べると、やはり暗算や人の名前を記憶することなどができにくくなったかなと思うことがあります。

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名前が出てこない

「あの大河ドラマにでていた、お母さん役の役者さん。名前は・・・」と思い出せないことが頻繁にあります。先日などは同世代のOB税理士とお話ししていて、「あの時の高知署の署長さん。名前は・・・」となってしまいました。結局その場では、ふたりともお名前を思い出せないままでした。

顔のイメージは完璧に頭に思い浮かんでいるのですが、名前が出てこないのです。

人の記憶は曖昧なもの

先日、オーディオブック・オーディブルで橘玲著「バカと無知・人間この不都合な生きもの」(新潮新書)を聴きました。いろいろと興味深いおはなしが多い著書です。

そのなかでも、特に興味を引かれたのは、「すべての記憶は完全ではない」というおはなしです。

おはなしの概略は以前、米国で成人した子どもが実の親を訴える案件が多発したそうです。その原因は幼児期に親からされたことの記憶がよみがえり、その記憶にもとづく証言で多数の親が刑務所ゆきになってしまっていたというのです。

ひとつそういった案件が発生すると、俺も、私もとそういった争訟が頻発したのです。実はその当時、衝撃的な事態に陥ると人間はその記憶を封印してしまう、だからその記憶を呼びさまそうというながれがあったそうなのです。

ところが、人間の記憶は簡単に書き換えられてしまうという研究発表がなされると、そういった争訟は影をひそめてしまったのだとか。

記憶というものは、人間の脳にその時のことがひとつのファイルとか、ビデオの映像のように存在しているものではなくて、ばらばらになっているのだそうです。

過去のことを思い出そうとすると、脳がその時の事柄を拾い集めて再構成するのです。これが「思い出す」ということなのです。

言わば、脳の中には、膨大な数の記憶の積み木が散らばっていて、何かを思い出そうとすると、これとこれとこれをと積み木を拾い集めて、積み木を積み重ねる。そうしてできたものが、ひとつの記憶だということです。

そして、そこに何か過去にはなかったこと、つまり事実ではないことを紛れ込ませると、人は簡単にそれを過去に起こった事実だと認識してしまうそうです。

だから、自分では過去のことを正確に記憶しているつもりでも、それは過去にその同じ体験をした他人の記憶とは異なり、自分のオリジナルのものになっている可能性は大きいと言えます。

よく「昔の記憶は美化される。」と言います。高齢の方が昔のことをよく記憶しているのもよく聴く話ですが、わざわざその昔の話の真偽を確かめる必要性もありませんから、その昔話が真実かどうかは分かりません。分かりませんが、事実とはかなり違ったものになっている可能性は大きいです。

よい方に書き換えてやる

人間の記憶は、ひとつとして完全なものはない。そうすると、たとえば自分では大失敗だったと何度も思い出しては後悔の念にさいなまれているような事柄があるとします。実はその過去の自分の言動の記憶は、本当の事実はそう大したことではなかったのかも知れません。誰にも分からないのです。

そんな後悔しているようなことは、他人には言いませんし、相談もしないものです。自分で思い出しては、悔んでは悩み苦しんでいるだけです。

人間の記憶がいいかげんなものであるのなら、そういうよくない記憶も、よいほうに書き換えてやれば悩みが軽減するということではないでしょうか。忘れるのではなくて、良い方向に書き換えてやる。そうすれば、もう思い出すこともなくなるでしょう。

【きょうの料理】

鶏もも肉と茄子のエスニックです。近所のスーパーでは今、アジアンフェアが開催中です。ひいきのスーパーですから、ついついそんなフェアには協力してしまいます。アジアン料理には欠かせないのが、ナンプラー(魚醤/魚を発酵させたものが原料の調味料)。私は好きですが、ちょっと好みが分かれるところです。

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