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当ブログをご覧いただきありがとうございます。相続専門の税理士の岡田隆行(https://okatakatax.com)です。
先日オーディオブック・オーディブルで橘玲著「バカと無知・人間、この不都合な生きもの」(新潮社)を聴いて、なぜヒトが自己の重要感を常に渇望してやまないのかということが腑に落ちました。
ヒトの本性を考えれば、世界を進化的合理性で解釈するのが当たり前で、それにもかかわらず理性や科学といった論理的合理性によって社会が運営されている方が驚くべきことなのだ。
橘玲著「バカと無知・人間、この不都合な生きもの」(新潮社)
なぜヒトは重要感を欲しがるのか
常に重要感を得たい
デールカーネギーの「人を動かす」の根幹と言ってもいいテーマは、「常に相手に重要感を与える」です。そうでありながら、「なぜ人は重要感を得たいのか」ということには触れられていません。本の目的が人間関係を円滑にするハウツーなので、あえて触れていないのかも知れません。
「人を動かす」では、相手に重要感を与えるためのノウハウが数々紹介されています。
自分は聞き手にまわること、相手にしゃべらせること、相手の名前を覚えること、相手をまずほめること、相手を賞賛すること、議論をしないこと、などなど。これらはすべて、相手に重要感を与えます。
これらの行為によって、「私はあなたのことが好きです。」「あなたといるととても楽しい。」ということを相手に伝えるということです。
もちろん、これは相手を自分の味方にすることが目的です。相手に重要感を与えることは、進化論的に解釈するとこうなります。
「あなたは私たちの群れの中でなくてはならない人だ。」
進化的思考
人類が進化の過程の大半を過ごした、狩猟・採集生活の間、われわれの祖先は百人程度の群れを形成していました。その集団の中で、優れた者は重要視されて群れの中心的な存在となり、パートナーを得て子孫を残すことができました。
ただし、あまり優秀なことが周囲にバレると、他の優秀なライバルから敵視されてしまう危険性があります。敵視されると、集団の中の地位を落とされるばかりか、集団から排除されてしまいます。現代社会ならともかく、狩猟・採集生活の時代に集団から排除されてしまうとひとりでは生きて行けなくなります。ですから、相応の地位が確立されるまでは、自分の優秀さをアピールしすぎることは避けねばなりません。
現代でも残るマウントとり
よく「マウントをとってくる」方がいらっしゃいます。たとえば「お前より俺の方が退職金が多い」というあれですね。
あのマウントもある一定の集団の中での示威行為のひとつです。自分の優位性を誇示して、群れの中で地位を保とうという思考が表出したものです。
ただ、マウントもそのしかたを誤ると、集団の一定の構成員からは敵視され、その構成員に支配力がある場合には、自分が集団から排除されてしまうので注意が必要です。
個人的に思うのは、自分に実力があるのであれば、黙ってそれをやって見せればよいのですから、あえてマウントを取ることは結果として、自らの溜飲を下げられるものの、敵を作るだけに終わってしまいます。マウントを取られた側は、マウントしてくる人間を好きになることは決してありませんから。
マウントを取るのも、自慢話をするのも、すべて自己の重要感を高めるためで、狩猟・採集生活の頃の名残りなのですね。
【きょうの料理】
鮭のフライパン焼きです。
きょうは七夕ですね。ちょうど5年前の西日本豪雨の日です。亡くなられた方のご遺族の方にはこころよりお悔やみ申し上げます。