相続税理士のブログ 岡田隆行税理士事務所

相続税専門の岡田隆行税理士事務所

Home » 税理士独立開業 » お仕事用のデバイス » あることがアタリマエという思考が幸せを遠ざけてしまう~相続でなやむのはもったいない

あることがアタリマエという思考が幸せを遠ざけてしまう~相続でなやむのはもったいない

calendar

reload

あることがアタリマエという思考が幸せを遠ざけてしまう~相続でなやむのはもったいない

相続財産の争奪戦は財産があることがアタリマエだ、あるのが当然だ、あるのがスタンダードだという考えから発生していると思います。

cat
猫は財産の奪い合いはしない?エサの奪い合いはあるかも?

”ある”と考えるから損をした気がする

相続財産はその多くが、自分の親から受け継ぐものです。
もちろん、相続人の中には親とともに事業を大きくして、親の財産を増やすことに貢献した方もいるでしょう。

しかし、大半の人は親、もしくはその先代が築き、維持してきた財産を相続します。
そのような方は、自分がその財産の構築、維持にはまったく関与していないにもかかわらず、たまたまその家に生まれたということだけで、その家の財産を受け継ぐことができる権利を得られているということです。

ほんとうに幸運なことですよね。たまたま、奇跡的に、気がついてみると生まれていて、自分の親が資産家だったという超ラッキーなめぐり合わせです。もうそれだけで、天に感謝ですよね。

その超幸運に対する感謝を忘れて、それを当然の権利と認識してしまうところから争いが始まります。

偶然の産物だと考えられるかどうか

親御さんが亡くなり、遺産の額を確認したら5000万円ありました。
相続人は兄弟二人です。そこで、
「2500万円ももらえるかも知れない。わたしはなんて幸運なんだ!」と思うのか、
「二分の一の2500万円は俺のものだ。びた一文まけないぞ。」と思うのかで、
その人の幸福度は変わってきます。

ちがうのは、0円が2500万円になったと思うのか、
2500万円からは1円も減らせない、と思うのかの違いです。
2500万円は2500万円で何も変化しないのに、
それをどう思うかだけで、いろんな事が変化してきます。

2500万円から1円も減らしたくないばかりに、
相続人間で論争になって、その信頼関係を壊してしまったり
遺産分割の話合いに弁護士を雇ったり、法廷闘争にまでもつれ込んだりして、
いたずらにお金と時間を浪費してしまったりします。

道端の100円玉と相続財産1臆円は変わらない

道端で拾った100円玉も、相続財産の1臆円もたまたま偶然手にしたという意味ではなんら変わらないお金と考えられると思うのです。(道で拾った100円は交番に届けなければなりませんが)

なくてもともとと考えて、手放してしまえばもう財産のことで煩わされることはなくなります。
むしろ、他の相続人に自分の権利を与えたよろこびが得られます。

そうした方が、他の相続人に悪感情を抱くこともなくなり、心身ともに健康的でいられることができます。また将来、自分の相続人を煩わせることもなくなります。

目先のお金のことばかりに気を取られずに、もっと気楽に生きられると思うのですがどうでしょうか。

【きょうの料理】

なすびと豚こまのキムチ炒めです。
自家製、まんまるなすびとマイタケ、炒り玉子、豚こま肉を炒めてきざんだキムチでさっと和えました。辛いのがお好みなら、豆板醤を小さじ2ほど加えてもいいかもです。

nasubi
PAGE TOP