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当ブログをご覧いただきありがとうございます。相続専門の税理士の岡田隆行です。
人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)
人生に起きる出来事はそれが良いことなのか、そうではないのかすぐに判断できるものではないという意味でよく使われる言葉です。この言葉の含む意味は深くてもうひとつ理解できていない感じがあります。ですのでちょっと思考してみました。
「良いことが起これば、悪いことがある」ではない
塞翁が馬のエピソードとしては、概要つぎのとおりです。
塞翁が飼っていた馬が逃げてしまった。
しばらくしてから、その馬が隣の国の優良な馬と共に帰ってきた。
塞翁の息子がその馬から落馬してケガをした。
息子はケガをしていたので、徴兵をまぬかれた。
このお話を私は、「良いことが起これば、悪いことも起こる、誰の人生も全体としてみれば良いことと悪いことがプラスマイナスすれば零になる。」と捉えていました。
そう考えてしまい、自分にとって良いことがあっても「ああ、つぎは悪いことが起こるな。」ということなのかと思ってしまっていました。
またそう思うと同時に、すべての人の人生が全体としてプラスマイナス零とすると、幸せなお金持ちで人生を終える人と、ずっと困窮したまま人生を終える人がいるのはどうしてなのだろうという疑問がありました。どのように考えても、両者の良いこと悪いことバランスが同等とは考えられないなと思っていたのです。
ものごとに良い、悪いは存在しない
先日からaudibleで聴いていた「ユダヤ人大富豪の教え」(本田健著)のユダヤ人大富豪ゲラー氏の教えのなかでつぎのようなものがありました。
本来、人生の出来事に良いこと悪いことというものは存在しない。
これを聴いて思い出したのが、今井孝先生のセミナーで聴いた言葉です。
すべて自分の意味付けだと思ってください。
さらに、樺沢紫苑先生の「言語化の魔力」での教えはこうです。
事実を事実としてニュートラルに捉えること。
人生の出来事に、もともと良い悪いはなくて、それを良いとか悪いとか判断を下している(ジャッジしている)のは全部自分なのだということ。そこでどう捉えるか、ものごとをありのままに受けとめて、そこで冷静になって最良の判断が下せるかどうか。
判断する場面は小さなことから、大きなことまでつぎからつぎへといくらでもでてきます。日々の判断ができる人とできない人によって人生が大きく変わってゆくということなのですね。
「人間万事塞翁が馬」は「出来事にはもともと良い悪いはないということを肝に銘じ、出来事にいちいち感情的にならずに、冷静に対処できる識見を身につけておきなさい。」という解釈が妥当なようです。
良いと思うことは感情的に
とはいえ、喜ばしい出来事についてまで冷静に対応していたのでは、あまり面白くありませんよね。「今」現在において喜ばしい出来事の場合は、感情を開放して心から喜ぶ。そうする方が人生を謳歌できます。
【きょうの料理】
鰆サワラのみそ焼きです。今が旬の魚です。旬なので少しお安くスーパーに並んでいたので買ってみました。片栗粉をまぶして、フライパンで焼いて火を通します。さらに味噌・酒・みりんを混ぜたものをぬって弱火で軽く焼けばできあがり。