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見えているものはほんのちょっぴりに過ぎない

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見えているものはほんのちょっぴりに過ぎない

当ブログをご覧いただきありがとうございます。相続専門の税理士の岡田隆行です。

先日読んだ「宇宙一わかる、宇宙のはなし、むずかしい数式なしで最新の天文学」(日本科学情報、渡部潤一)によれば、宇宙の質量を計算すると、実際に目に見える「モノ」は限定的なのだそうです。

☞ 宇宙一わかる、宇宙のはなし

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見えているモノは少ししかない

モノとは目に見えている人、お皿、服、椅子、家、クルマ、道路、山、海などなどのことです。質量的にモノは25%しかなくて、あとの75%はダークマターとか、ダークエネルギーというものが占めているそうなのです。ダークマターとはなんだかかっこいい名前ですね。

私たちは目に見えるもの「しかない」と考え勝ちです。

ところが、見えているものの3倍もの「何か」が実は存在していることは紛れもない事実なのです。

その「何か」は実は私たちの周囲に満ち満ちていているのですが、目に見えないものだから「ない」ことになっているということですね。その「何か」とは何なのか、と考えているだけでわくわくしてきませんか。

見えていないものは確かにある

最近はパソコンとマウス、スマホとヘッドホン、スマホとクルマなどをWi-FiやBluetoothなどで無線で接続します。つなぐ際にどの機器と接続するか、選択する画面をみるとたくさんの機器が表示されていて、それだけの数の電磁波が飛び交っているのがわかります。しかし、どれだけの数の電磁波が飛び交っていてもそれが目に触れることはありません。

目には見えないけれど、たしかにその電磁波は「ある」訳です。今こうしてパソコンの前に座っていて、周りは静かでただの部屋のなかなんだけれども、たくさんの電磁波が飛び回っているとうことです。そして電磁波は私たちのからだや、家の壁があってもお構いなしに飛び回っています。電磁波にとっては私たちのからだはスカスカで、スイーッと通り抜けられる訳ですよね。私たちが電磁波を目にすることができないように、電磁波にとって私たちのからだは無いのも同じことだと言うこともできます。

感覚を澄まして感じとる

もしかすると、目に見えていないものは「ない」という思い込んでいるから、見えないのではないでしょうか。目だけで見ようとするから見えないのではないでしょうか。「ある」と、確かに存在すると信じて見ると何かが見えてくるのではないか。

「観察」という言葉があります。小学生のころ理科の時間に、よく植物や昆虫の観察をしましたよね。観察とはその対象をよくよく見るということです。よくよく見ようと思えば、その対象に興味を持たなければなりません。

たとえば、明日会う人がいるとしましょう。何度も会ったことのある人でも、初対面の人でも、その相手に興味を持ってよくよく見て、観察すれば何か目で見えないものを発見できるかも知れません。そんなことによって、ほんとうの幸せや、ほんとうの成功というものが見つかるかも知れません。

少なくとも、人の話を聞いていて退屈することがなくなります。それだけでもメリットですよね。私も明日からやってみます。

【きょうの料理】

ブリ照りです。高知産の天然物が並んでいたので迷わず購入。ブリに片栗粉をまぶして、表面をカリッと焼いて一度取り出します。お酒、醤油、みりん、さとうをフライパンで煮立てて、すこし煮詰まったら、ブリを戻し入れて煮からめればできあがり。天然ものは身が引き締まっています。太平洋の味がしますね\(^^;)

buri
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